「何しとっちゃろうか」。電気関係の会社に勤めて2年経った20歳の時、間利夫さんは立ち止まりました。サラリーマンを続けていった先にある未来の輪郭が見え、そのまま足を進めることに躊躇したのです。
間さんは、津屋崎で代々漁業を営む家の三男。両親の苦労する姿を見て育ち、漁業を継ぐことは考えていませんでした。しかし、兄2人は漁師にはならず、自身も勤め先の仕事を続けることに疑問を持ち始め、考えが変わりました。「漁師になってもいいかな」。両親にその旨を伝えましたが、2人とも賛成するでも反対するのでもなく、「そうか」のたった一言。翌日から3人で船に乗り始めました。子どもの頃からついて行っていたので、漁の流れはわかっていましたが、実際に手を動かし、覚えていくことは容易なことではありませんでした。「10年かかった」と間さんは振り返ります。
「まだ一人前とは言えん。網の繕いはおやじの方が速かったし、アワビやサザエを獲る時の竿の使い方もまだ技術がいる」。間さんは、1年の半分は網を使った漁を行っているので、1日の多くの時間を網に関わることに費やし、残りの半分は海に潜るか、箱めがねと竿を使いアワビやサザエを獲ります。
津屋崎の氏神様「波折宮」の近くで間さんは育ち、お祭りによく参加していました。10月に開催されるおくんちには、子どもの頃から参加し、漁師になってからは竜笛を吹きながらまちを下っていきます。竜笛を始めたのは、お父さんが譜面を持っていたということと、お祭りが好きという理由からでした。
間さんの行動の動機はいつもシンプル。「おやじがやっていたから」。小難しく考えず、お父さんが行ってきたことを主体的に倣い、自分流のものを作っていくことを自然な流れとして捉えています。
継承とは、「おやじがやってたから」「代々やっているから」という理由で受け取り、当り前のように自分の手元にあるものをより良いものにして、後世に手渡していくことなのかもしれないと思いました。
間利夫 (はさま としお)
津屋崎の漁師。朝4時から仕事が始まり、夜9時には就寝する。2人の子どもとは、夕食時に一緒に過ごし、間さんが獲ってきて新鮮な魚で食卓を囲む。