コッコッコ。6歳の少年、中村海渡君が自宅にある鶏小屋の中に入り、言いました。「おっ卵を産んどる。持って帰る?」両親から学んだのでしょうか。既にお裾分け文化が身についているようです。
津屋崎千軒(※)の近くに新東区という約40年前にできた住宅街があります。そこに中村さん一家が3年前、海の近くで自然を感じられる暮らしを求め、東京から引っ越してきました。奥さん佳子さんは地域の方の好意で畑を借り、野菜作りを始め、釣り好きの御主人洋基さんは仕事の合間をぬって海へ。海渡君は、津屋崎弁を覚え、ご近所を走り回るといった暮らしが自然と始まっていきました。
引越しから2年経ち、2羽の鶏が中村家の庭にやってきました。佳子さんがかねてから循環する生活の中に身を置きたいと考えおり、飼い始めたのです。庭や畑の雑草等を鶏が食べ、卵を産む。フンは畑の肥料となり実りをもたらす。循環の出発点となる鶏のエサは、近所の方が野菜くずや米や麦の落ち穂を持ってきてくれることもあります。ある時、こんなことがありました。インターホンが鳴り、玄関戸を開けると、見知らぬおばあちゃんが立っていました。「これ、鶏に」。差し出された容器の中には、コガネ虫の幼虫が。互いに面識はありませんでしたが、おばあちゃん宅のコンポストにいた幼虫を鶏のエサにと持ってきてくれたのです。鶏は循環する暮らしに導き入れてくれるだけではなく、中村さん一家にそれまでにはなかった世界を見せてくれています。
「あまり深く考えて今の生活に至ったわけではないのだけど、自分たちのペースでやりたいことができているということが有難いです。何を取っても、ここには余裕や隙間みたいなものがありますね」。
中村さん一家がありたいようにあれること。これは、周囲の方が一家を理解し、一緒に楽しんでくれているからこそのことです。そして、中村さん一家も同じように周囲の方と接しているからでしょう。
その人のペースに合った心地良い暮らしは、どこかにあるものではなく、一人一人が小さな思いやりや理解する気持ちを持ち寄り、形成されていくものだと感じました。
(※)津屋崎千軒:津屋崎漁港一帯の集落の名称。港近くは、江戸から明治時代かけて製塩と交易で賑わい、千の軒を連ねる程栄えた町として「津屋崎千軒」という名が付けられた。
中村さん一家
洋基さんは、自宅でWebエンジニアの仕事を行う。津屋崎千軒の中にある「café&ギャラリー古小路」で土曜日に(第3土曜日を除く)「おむすびと粗汁 むすひ」を家族で開き、中村家の暮らしのお裾分けをいただける。