「手から糠漬けの匂いが落ちない時がありまして」。自宅の庭で野菜を作り、収穫した野菜で糠漬けを漬ける井浦一(はじめ)さん。毎朝、朝食用に糠床から野菜を取り出し、発酵具合を確認しています。
井浦さんは、福津市役所、教育総務課史跡整備係の職員。古墳に関する専門知識を持つ技師でもあり、現在、新原・奴山(しんばる・ぬやま)古墳群(※1)の世界遺産登録に向けて忙しい日々を送っています。
井浦さんが技師となる道は、小学生の時から始まりました。多くの少年と同じように、石ころや土器、古い貨幣に興味を持ち、夢中になって収集する日々。ある日のこと。図工の授業で陶器を焼く時間があり、図案を考えることが宿題として出されました。井浦さんは、図書室で工芸品が載っている写真集を眺め、一つの土器に釘付けになります。「これがいい。これを作る」。縄文時代中期の土器、火焔(かえん)土器の造形美に魅了され、真似て作ることにしました。

 

貨幣

おじいさんからもらった江戸時代の貨幣。

 

大学進学時も考古学を専攻。卒業論文は、古墳時代のことを研究テーマにしました。卒業後、旧福間町に入所。文化財係で働くことになりました。福津市に合併後、古墳公園建設係に異動となり、少年時代から興味を持ち続けていたことが仕事となります。しかし、手放しに喜んではいられませんでした。異動して一年目といえども、「古墳群のことは何でも知っているもの」といろんな説明を求められます。井浦さんは、津屋崎古墳群のことやその価値を過去の調査から調べ尽くしたり、国や県との仕事のやり取りを覚えたりと、やるべきことに必死に取り組みました。

 

測量

古墳の測量方法を教える井浦さん。

 

そんな中、井浦さん自身にも変化がありました。井浦さんが受け持つ古墳の保護や整備の仕事は、地域の方の理解や協力なくして成立しません。何度も足を運び、顔を合わせているうちに、地域の方と気軽に話ができるようになっていきました。この仕事を担当するまでは、どうしてか肩に力が入ってしまい、地域の方と関わりを深められずにいました。地域の方と関わることで、直接声が耳に入り、仕事へと反映させていく。この好循環は、暮らしにも変化をもたらしました。毎日食べるお米は、古墳群のある奴山で有機農業を営む花田智昭さんから直接購入し、糠床も花田さんから糠を分けてもらって作ったものです。

 

danwa

花田智昭さんと話す井浦さん。

 

「苦難もありましたが、今は充実しています。いろんなご縁もいただいて」。好きなことを仕事にすることは、時に大きな苦難の壁の前に立つことでもあります。しかし、その壁を乗り越えると、思ってもいなかった「力」を授けられるのかもしれないと感じました。

※1 津屋崎古墳群の一部。5世紀から6世紀にかけて古代豪族宗像氏によって築かれた41基の古墳群。沖ノ島祭祀を行い、その信仰の文化的伝統を育んだ宗像地域の人々の存在を最も表す遺跡として「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の構成資産として選定されている。

井浦一さん

奥さんと二人の娘さんと福津市内で暮らす。趣味は野菜作りと陶芸。玉ねぎを自給することを目下の目標に、毎年300本の苗を植えて挑戦している。


暮らしびと 記事一覧

かつては黄色い絨毯(じゅうたん)を敷きつめたように菜の花が咲き広がっていた勝浦平 […]
毎年、三反(たん)の広々としたヒマワリ畑が、夏を迎えた新原・奴山古墳群*に彩りを […]
自宅のデッキ越しに見える池の土手を指さし「あの土手でツクシがいっぱい採れるのよ」 […]
土間にあった下駄に履きかえ「これだとね、出たり入ったりが楽ちんなんです」と嬉しそ […]
日当たりのよい、庭先のプランターで摘みとった、春菊のやわらかい若葉を手に「さっと […]
 「今日は夕陽がきれいそうやね」。眼下にまちと海が広がる高台に暮らす中島美香さん […]
 「手から糠漬けの匂いが落ちない時がありまして」。自宅の庭で野菜を作り、収穫した […]
「先月、リフォームしたんですよ。リビングと台所、洗面所とお風呂も」。ずずずと通さ […]
「眺めがよかろう」。水上牧場の牧場主水上治彦さんは、山を開いて作った放牧場から […]
「新しいことを学ぶと人に伝えたくなるねぇ」。有吉敏高さんは、郷土史会の会員であり […]
 角信喜さんは高校生の時、自宅の本棚にあった『神々の指紋』(※1)やギリシャ神話 […]
 太陽が今日を明るく照らす前、藤田裕美子さんは朝食の支度を始めます。福岡市内で勤 […]
 カランコロン。下駄の音がまちの中に響く。柴田奈緒美さんは下駄を履き、自身で染め […]
 季節の花々が咲き、ほのかにハーブの香りがする庭。スカートをひらひらさせて踊りた […]
 「This is the house」(ここが僕たちの家だ!) 探し続けていた […]
 亜熱帯のような小さな森の先にある「みんなの木工房=テノ森」。かつてチョコレート […]
 福津市の東側、許斐(このみ)山麓にある集落、「八並(やつなみ)」。柴田稔さんと […]
 福津市の北側にある「山添」(やまぞえ)という集落に、西浦さん夫妻は暮らしていま […]
 世界が目覚め、空気が澄み切った朝。山から朝日が昇り、宮地嶽神社の社殿が照らされ […]
 「何しとっちゃろうか」。電気関係の会社に勤めて2年経った20歳の時、間利夫さん […]
※1 津屋崎人形 歴史やおとぎ話で活躍する人物等を題材にした土人形。原色で絵付け […]
 海岸から東側に車を15分程走らせると、風景が一変し、目に緑がたくさん映り始めま […]
福津市の東側に「光陽台」という住宅街があります。その中の一軒で野田壮平さんは生ま […]
豊村酒造5代目豊村源治さんの妻、理惠子さんは自問します。「何の為に古い建物を維持 […]
  コッコッコ。6歳の少年、中村海渡君が自宅にある鶏小屋の中に入り、言 […]
  福津では朝日が山から昇り、夕陽が海に沈む。お日様が顔を出す在自山( […]
「父は、朝食の準備と二人分の弁当を作って、6時半に出勤してたんです。辛い顔なんて […]
  「茶色い毛の馬は、まつ毛も茶色なんです。私は馬のことに関して素人だ […]
「ずっとお店に来たいと思っていたんです。この辺りのゆっくりした時間の流れが好きで […]
「「どこ行きようと?」と声をかけることが、「こんにちは」と挨拶することと同じだと […]