豊村酒造5代目豊村源治さんの妻、理惠子さんは自問します。「何の為に古い建物を維持するのか」。明治7年の創業から140年。初代喜三郎さんがこの建物に込めた願いや思いに語り継がれる歴史を重ね、考えを巡らせます。
喜三郎さんは、製塩と交易で栄えていた津屋崎千軒の中に土地を買い求め、酒蔵と屋敷を建てました。酒蔵の土間の梁には、海水に浸した塩木(※)をふんだん使い、この梁に見合った酒造りをすることを決意し、明治から大正にかけ、見事九州随一の生産量を上げました。
「創業当初から掃除をしっかりと行ってきました」。嫁いできた当初、理惠子さんは一日の多くの時間を掃除に費やしました。塵をうち、ほうきで掃き、水拭きをする。かつては、年末とお盆前に櫓を組み、7メートルもある天井を水拭きしていたそうです。時代の変化と共に、かつてのような酒造りは難しくなりましたが、現在でも酒蔵や屋敷はぴかぴかに磨かれており、来訪者を迎え入れます。
「初代から続くご先祖様の思いを考えると、この建物をどうにか生かさないと申し訳ない気持ちになるのです。同じものは二度と建てられないのですから」。創業から140年。たくさんの方の力や手が重なり合い、現在も美しい姿でここにあります。源治さんと理惠子さんは、できる限りのことを行い、次世代へと繋げていくための道を探し続けています。
(※)塩木 海水に浸して乾かした材木のこと。防虫効果がある。
豊村理惠子 (とよむら りえこ)
熊本県八代出身。昭和53年に豊村家に嫁ぐ。酒蔵を開放し、梁や屋敷の一部分を見学できるようにしたり、日本酒や酒粕を使ったスイーツの商品企画をしたりと新しい風を取り込んでいる。